第六期 台頭時代
昭和38年 〜 昭和48年

5強時代 全国有数の激戦区に ・ 白獅旗、”鉄のマチ”に輝く  七曜黒鷲旗、札幌にはためく
久慈賞、初めて本道選手の手に
 ・ 北海道連盟に表彰制度

アイコン 5強時代 全国有数の激戦区に
  都市対抗誕生後、昭和37年までの本道代表チームの成績は、10勝40敗で勝率は2割であったが、この間、本道チームが初めて決勝戦に進出するなど、21勝22敗・勝率4割8分8厘に飛躍した。産業対抗では、強豪揃いの鉄鋼、金融、電電などの各部門の予選を勝ち抜いて全国大会に駒を進めた本道チームが、優勝1回、準優勝2回の快挙を成し遂げた。昭和37年のシーズン終了後、それは本道社会人をリードしてきた東圧が15年の歴史に幕を閉じ、39年には2度都市対抗で後楽園に駒を進めた羽幌(40年羽幌クラブ)も姿を消した。しかし、昭和41年に北の誉(43年解散)、44年に航空自衛隊稚内(54年解散)、47年に札幌トヨペット(58年解散)、48年に日産サニー札幌(平成4年活動休止)が加盟した。一方、昭和44年に創部8年目で大昭和が、46年に創部16年目で電電が都市対抗道予選で代表権を獲得、都市対抗本大会出場組に仲間入りし、その次期から本道社会人は、大昭和、拓銀、富士鉄、王子、電電の5強時代が30年余の長きにわたって続き、全国でも有数のレベルの高い激戦区となった。なお、昭和46年に都市対抗道予選をトーナメント(敗者復活含む)から、5チームによるリーグ戦(2次予選)方式に変更した。本道社会人が全国レベルに飛躍する先陣を切ったのは、昭和38年の都市対抗で白獅旗を獲得した富士鉄である。
大  会  名 成 績 チーム名 監 督
S38
S39

S42


S43
S44

S46
S48
第34回都市対抗野球大会
第35回都市対抗野球大会
第14回日本産業対抗野球大会
第38回都市対抗野球大会

第17回日本産業対抗野球大会
第18回日本産業対抗野球大会
第40回都市対抗野球大会
第19回日本産業対抗野球大会
第21回日本産業対抗野球大会
第44回都市対抗野球大会
準優勝
ベスト8
準優勝
ベスト8
ベスト8
ベスト8
ベスト8
ベスト8
優勝
準優勝
ベスト8
富士鉄室蘭
拓殖銀行
富士鉄室蘭
富士鉄室蘭
拓殖銀行
拓殖銀行
電電北海道
拓殖銀行
拓殖銀行
電電北海道
大昭和北海道
田畑 義秋
品田 栄太郎
田畑 義秋
岡嶋 富士夫
西村 博司
西村 博司
高木 光男
西村 博司
西村 博司
高木 光男
安藤 喜春
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アイコン 白獅旗、”鉄のマチ”に輝く
  初戦の富士重工戦は、佐藤の2安打完封と工藤、高屋敷の適時打で3−0、続く大和証券戦も佐藤の完封と安戸のサヨナラ安打で1−0で勝ち進み、準決勝は、大会3連覇を狙う王者日本石油に5−1で快勝、決勝の積水化学戦は、7回表まで3−1でリードしていたが、8回裏に逆転され3−4で惜敗した。決勝戦の模様をアマ野球記者第一人者の松尾俊治氏が次のように記している。「優勝を争った京都(積水化学)と室蘭の試合は、追いつ追われつの大熱戦となり大会の終盤を飾った。室蘭は惜しくも2位となったが、最後の瞬間まで勝負がわからない緊迫した好勝負を繰り広げた。都市対抗歴史上を飾る両チームの熱戦は全く見事というほかない。ともに好投手をもち、鋭い攻撃力をそなえ、また全員野球の気力も同じように充実し、王座を争うにふさわしいチーム同士だった」と激賞している。
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アイコン 七曜黒鷲旗、札幌にはためく
  昭和44年の日本産業対抗野球大会では拓銀が日本生命から補強の小弓場投手、山下一塁手、加島外野手の活躍もあって全国優勝を果たした。鐘淵化学を4−2、日立製作所を5−1、全大丸を2−1、準決勝の盛岡鉄道管理局戦は佐藤政良の決勝2ランで2−0、決勝は11安打の猛攻で日本石油を5−1で降し、文句なしの全国制覇であった。産業対抗での拓銀の優勝については、協会報に「決勝戦は古豪日本石油(石油)と北海道拓殖銀行(金融)の対戦となり、拓銀が5−1で優勝、働く産業人を象徴した七曜黒鷲旗は初めて北海道に渡った。社会人野球の全国大会で北海道勢が優勝したのは初めてのことである」と記されている.富士鉄の優勝は、室蘭チームを中心とした全富士鉄での出場。電電の準優勝は、他の電電チームから補強せず、単独出場での快挙だった。これらの偉業は、寒冷地でプレーする野球人にとって大きな励みとなった。
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アイコン 久慈賞、初めて本道選手の手に
  都市対抗では、昭和38年に佐藤進が4試合完投の準優勝投手となり、本道の生んだ”聖球”久慈次郎の功績をたたえて設けられた久慈賞を手にした。台頭時代においては、都市対抗・産業対抗の2大公式大会の受賞者が胎動時代では8人だったものが30人の多きに及んだ。さらに、社会人野球にとって最も栄誉ある賞の全国社会人ベストナイン(昭和40年制定)に佐藤政良と鈴木勝広が選ばれた。
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アイコン 北海道連盟に表彰制度
  道連盟による表彰(ベストナイン等)は昭和44年に制定されたが、この中で、太洋の辻春信監督(函市高)、樽協の葛西良昭監督(北照高)なども特別賞を受賞した。なお、昭和45年、日本社会人野球協会の道連盟選出理事に森一光が就任した。
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以上、「日本野球連盟北海道地区連盟 50年史」より抜粋
























以上